12/14 ついに運命の手術の日、、長い一日、、話が違うじゃないか

ついに手術の日が来た

いつもより早く、7時半くらいに病院についたら、あっちゃんは浣腸されていてお腹を丸めてうつ伏せになってベットにいた。
その背中を見ていると、ままは胸が締め付けられる思いだった・・・。
神様、どうかあっちゃんの腫瘍を取り去ってください。

その後、手術着を着せられて、待機。
闘病仲間のパパで、毎日出勤前に子供の顔を見に来てる方がいるのだが、わざわざ病室まで来てくれて
「頑張ってください!」と声をかけてくれる。
お子さんの手術を経験したことがある先輩なので、こちらの気持ちや不安をわかってくれているんだと思った。
とてもありがたかった。

病室から手術室まではぱぱが抱っこして行った。
途中、子供たちが朝ごはんを食べている横を通った。
「あっちゃん、がんばって!」「あっちゃん!!」とみんなが声をかけてくれて、とても嬉しかった。
当日の受け持ちだけではなく、あっちゃんの担当看護師、HHさんも一緒に手術室までつきあってくれた。

手術室前まで付き添う

あっちゃんにとっては2回目の手術室。
また麻酔がかかるまで一緒にいられたけれど、雰囲気を察して不安定なあっちゃん。
もう二度と手術室にあっちゃんを送る事はしなくない、と心から思うまま。

そして手術が始まり、、、祈るような思いで待っていた。
事前に
「お腹をあけて1時間くらい観察するのですが、そこで切除ができないようだったら、その場で連絡したほうがいいですか?」
と言われたので、結果はなるべく早めに教えてもらえるようにお願いしてた。

何もないのは、良い知らせ、、と信じていた

そして3時間くらいが経過して、何も連絡がなかったからきっと無事に切除スタートにできたんだろう。
と、少しほっとしながら待っていた。

手術を経験した闘病仲間のママたち様子を見に来てくれた、ありがたかった。

さらに3時間くらいたっても、誰も何も言いに来ないので、長いなぁと思いながら、待っていた。
そして、夕方・・・
呼ばれた。

執刀医2名、立ち会った内科医が3名。
術後の説明の部屋が大変狭く感じた。

話が違うじゃないか!!

血管と腫瘍がタイトに近接していて切除撤退した。
と聞こえた・・・・。

もちろん、説明はもっと長くて丁寧だったけれど。。。
フンフンフンと聞いてたそこまでの説明について理解してたことが飛んだ、消え去った。

一瞬時間が止まった・・・・。

意味はわかるけれど、耳に入らない。
まるで肝芽腫の告知を受けたときの状況と一緒だった・・・・

違うのは、涙が出てこないというところ。
あまりにもひどいショックを受けると、感じる心を一瞬にして失ってしまう・・・というのは今だから言える。
その時はほんとにほんとに何も感じられなかった、自分がそこで何と答えたのかすら覚えていない。

執刀医のK先生が「切れませんでした、ごめんなさい」と悔しそうにおっしゃったこと、 同席した内科医の先生がたのなんとも言えない顔が印象に残っている。
嘘だろう、なんでだろう、ありえない。
としか言えな行けれど、言葉になって出てこない。

先生たちだって切れると思ってたでしょ!?と責めたくなった。。

もちろん、切除できる見込みがあるから手術したわけで、そして腫瘍と血管の具合はおなかを開いてみないとわからないと事前に説明をうけていたので、理性の部分では仕方ないんだと思えるのだが、感情の部分では別である。。
途中の報告が一切なかったので、うまくいっているとしか思ってなかった。
先生に「ごめんなさい」と言われることほど辛い事はない、そんな言葉いらないので腫瘍を何とかしてほしい、それしか思えなかった。

時は止まらない!!セカンドオピニオンへ

少し落ち着いてから、ぱぱとままは、事前に考えていた事をお願いした。
それは、セカンドオピニオン。
切れなかったからすぐ生体肝移植するのではなく、もう一度トライできないか。ほかの術者だったらなんとかしてくれるんじゃないか。
祈る思いでお願いした。

事前にその話を担当医のH先生にしていた事もあり、すんなりOKをいただいた。
この件については、ぱぱが事前にあたりをつけていたりした。
先生たちからも意見を聞くのに中立の立場が取れる遠方の病院などを教えてもらったりもした。

がんばったね、あっちゃん

その後、麻酔から目が覚めたあっちゃんと再会。このときは、手術の成否などより、ただただがんばったあっちゃんにはやく会いたかった。
驚くことに・・・あっちゃんは暴れた。
「だっこだっこー!」と大騒ぎして、点滴が一つ外れたほどだ。

その様子を見てあっちゃん、ごめんねという気持ちがあふれてきた。
手術うまくいかなくて、こんな辛い思いだけさせてごめんね、と。
私たち親のせいだ、そう思った。

でも、この日1000mlも出血したあっちゃん・・・術後に暴れる元気があるなんて。
実は生命力があるんじゃないか、なんとか助かる道が見つかってほしいと心から願った。

病室に戻り、24時間集中管理のお部屋(ICUではない)に入り、看護師さんに献身的にケアしてもうことになった。
鎮静で寝ているあっちゃんを置いていくのがつらかったことを覚えているが、どうやって帰って家でどうやって寝たのか、覚えてない。

この日、病棟では、闘病仲間がなかなか戻ってこない私たちを心配していた。
予定よりだいぶ時間がたっていたからだ。

ままはうまく話せなかった。

厳しい表情で入ってきた私たちの様子を見て、いつもと違う、と感じた方もいた。
みんな我が子のように心配してくれて、そしてとても悔しいと言ってくれた・・・。

淡々と結果を伝えるのみで、そうしてないと気持ちが決壊しそうだったから。
とても残念な結末になってしまった。
「肝芽腫は、手術で腫瘍が取りきれたら予後がいい」
と、聞いていたのに。

あっちゃんはそれができなかった・・・・・。

相談

その日の夜、 九州に住む友人の医者夫婦に電話して、メールもした。
ぱぱの海外駐在時代に知り合って、夫婦ぐるみで仲よくさせていただいているのだが。
実は奥様の方に肝芽腫の臨床経験があり、話をよく聞いてもらっていた。

メールの内容は、あっちゃんの手術記録。
この時も心から悔しがってくれた・・・

そして1000mlの出血といえば、体内循環している血液全部といっていい量の出血らしい(もちろん輸血している)
肝臓への負担もあると思う、よく頑張った、と言ってくれた。

それまでは治療についてとか話を聞いてくれるものの、治療については特に口を出すことはなかったのだが、
この結果をうけて・・・・
彼らが動いた。
どの病院で生体肝移植をすればいいのか、もう一度切除をすることができないのか。
そして、そのアドバイスがあっちゃんを救うことになった。

でも、この時はどん底に突き落とされた。
何をしても辛くて、肝芽腫の告知をうけて一晩泣いて「人生でこんなにつらい事って他にあるのか!?」って思ったのだが、それ以上につらいことだらけの治療で、さらに手術がうまくいかないなんて・・・。
あっちゃんがかわいそうすぎる。

長く闘病した先輩ママに
「色々あるけれど、一歩一歩すすんでいけば、寛解して退院できるから、先は長いけれど目の前のことをひとつひとつだよ!」と言われたり、
「何回も崖に突き落とされるような思いをしたよ」と、これまた違うママにも言われたり。
その言葉の意味が重く胸に刺さった。

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目の前のことをひとつひとつ・・・
底から這いあがることはできるのだろうか、この時はそう思った。