1/26 肝芽腫の腫瘍に思わず触りそうに 手術 その2

手術後に先生が切除した肝臓を見せてくれた。

この時、ぱぱとままのぱぱたち(あっちゃんの祖父2名、通称;じぃじーず)もいたが、彼らは「そんなの見ない!おまかせする~」と言ってた。

見に行った。で、デカイ。

切除した肝臓は全体の75%くらいにあたるのだが、大きい。大人の男性の片手よりおおきいか。

そしてにっくき腫瘍が肝臓の外まで盛り上がっており、うっすらと見え、今にも被膜を突き破って破裂しそう。

ちょうど、握りこぶしの指の付け根に見える丸いコブのような感じのものが4個くらい、大きさは直径2センチ弱、これが腫瘍かぁーー!と思わずつつきそうになって・・・

だめです!と怒られる(笑)

この腫瘍を見た担当医のH先生は「これは薬が効いてないかも」と思われたようだ。

こんなものをいつからお腹に抱えて生きていたんだろうか。
もっと早く気づいてあげられればここまで苦しまなかったのに、と思う。

控室に戻ったら、前の病院の先生(内科医2名、外科医1名)が来てくれた。
全員手術室に入ったので、後で聞いたら先生だらけで、移植コーディネーターさんが手術の手元がぜんぜん見えませんでした。とのこと。

この結果を受けて、また前の病院に戻って術後の化学療法を受ける予定となった。
「あの腫瘍と、AFPの上がり方を考えると薬があまり効いてないと思われます。次にどういう治療をするかは(僕たちの)宿題です。お待ちしてます!」とH先生が言ってくださった。
ベッド空いてませーん、とか言われなくてよかった。

その後、ままが退院手続き、ぱぱがちょっとした用事を片付けに出た間に執刀医のK先生がいらしたようだ。
一番早くあって、お礼を言いたいのに、すれ違ってしまった。
その後ちょっとして、、無事に会えたのだが。

先生から後光が差しているように思えるくらい眩しかった。
「先生、正直切除できると思ってませんでした・・・」と言ったら
「僕は最初から切除する気でした!僕、腕がいいんです(笑)」という感じで言い切った。か、、、かっこいい。

ままは思った。
“奇跡”というのは、偶然おきるものではなくて、K先生のような、強い強い患者を助けたいという気持ちが おこすのだろうと。
また、前回の手術の執刀医が助っ人に入って、どのポイントで大出血に繋がったかなど色々連携してくれたのも大きいかもしれないと。
前回の辛い思いもまったく無駄ではなかったんじゃないかなと思われる。まぁこれも成功したからこそであるが。

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その頃、前の病院では・・・
ままが闘病ママにメールを送り、それを主治医の先生に速報で伝えてもらい、ナースステーションで・・・
歓声があがった!
とのこと。
あっちゃんの担当の看護師が泣いてたって、後程何人かの看護師が教えてくれた。
とても熱い空気満載だったらしい。
闘病ままたちも、治療で煮詰まったり、しんどい治療の中で一筋の光が見えたようだ、こんなにうれしい事はないと言ってくれた。

ままの友人も、メールを見た瞬間に泣いて叫んだので一緒にいたひとに不審がられた・・と。
こんな風にあっちゃんを応援してくれる人たちの送ってくれる気持ちも成功につながったんだと思う。
そして、あっちゃん。
あっちゃんとはICUで再会した。
チューブがたくさん入ってて(片方の鼻に3本!)ドレーンがあったり、点滴のラインも両手に入ってた。
まだ覚醒してなかったけれど、できる事なら体が楽になるまで寝ていて欲しいと願うぱぱままであった。呼吸も管理されていて、まだ自発呼吸はしてなかった。
執刀医のK先生が横について様子を見てくださっていた。

この病院のICUはすごくて、 環境が手術室と同じヘパフィルターによる空調によりクラス10,000の清潔度を保っており、ICU内での手術も何の問題もなく行われているそうだ。
親が面会するときは、荷物をロッカーに入れ、手ぶらで行く。
手をしっかり洗って、私たちはマスクをしていった。
でも、特に白衣などを着るわけではない。

ベッドサイドのボードに私たちの緊急連絡先の電話番号と自宅から病院までかかる時間が書き込まれた。
くれぐれも急変だけはしないでほしい、そして25%になった肝臓がちゃんと働いてほしい。
と願うぱぱまま。

万が一の感染症になったらいけないので、本当は一晩中手を握っててあげたいのだが・・・・・
必要なやりとりだけをして数分でICUを後にした。

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とても、辛いけれど。。手術がうまくいったから耐えられる。
いつになったらICUを出られるのだろう