1/26 ゴッドハンド、いざ出陣 手術 その1

今日は長い一日になりそうだ。前回の手術は、余裕だろうと、ぱぱは当日午前中は立ち合いすらしなかったくらいだ。

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今回の予定は

  1. 9時前に始まり、麻酔、開腹後、超音波検査等で直接肝臓をチェックする。
  2. 当初は切除をトライしながら、無理と判断した時点で、移植にきりかえる。
  3. 移植となった場合は、ドナーである母親に声がかかり、母親の部分肝切除手術がお昼過ぎから始まる。こちらの手術は3時間くらい。
  4. 摘出された肝臓はあっちゃんの体に移植される。あっちゃんの手術は6時間くらいを予定され、移植の場合は、トータルで12-13時間くらい。終わるのはかなり夜更けになる。

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、、、、、、

ぱぱは7時過ぎに、家を出た。車に乗って出発だ。

この頃は、カーシェアリングの車を毎日借りて乗っていた。病院の近くにマンスリーマンションを借りようと当初思ったが、車で30分強と思いのほか近く、家の方が落ち着くと思ったので、毎日車で通った。毎日6000円くらいだったので、21日間でも126000円と、マンスリーを借りるより安く上がった。

8時前に病院に着いたように記憶している。前日から名古屋の祖父が上京していて、朝から合流した。

ままは朝5時くらいに目が覚めて、とても綺麗に晴れている空を見て、あっちゃんが生まれた日の晴天を思い出してた。富士山が綺麗に見えたのでなんとかあっちゃんを助けてください、とお願いした。
病室でぱぱまま、あちゃん祖父が合流した。

あっちゃんには、既に鎮静剤が入っていて、ちょっと陽気なよっぱらい状態だった。
手術時に親と離れ錯乱するのを防ぐためにお願いしておいた。ただ、ふらふらしているので、頭等を打たないように注意してみていた。あっちゃんが怖がって手術に行かずにすむのは親としては少し気が落ち着く。

8時30分くらいになっても、これから手術という雰囲気ではなく、いつもと何も変わらなかった。40分過ぎに看護師さんが突然来て、では行きましょうかと、あっちゃんをストレッチャーに乗せて、病室を出た。

ぱぱままは、ただついていくだけだった。業務用エレベーターを呼ぶ。手術で、最優先なので、みんな譲ってくれる。8Fから落ちて、4Fに到着。4Fは手術室のあるフロアだ。

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で、看護師さんが、”ぱぱままはここまでで、後は控室で待っていてください”、我々が声をかけるとか、そういう時間もほとんどなく、がらがらーーーーとストレッチャーが運ばれていった。声をかけたかもしれないが、記憶があまりない。
ままはあっちゃんの手をきゅっと握った。二度と子供を手術室に送るなんて嫌だ・・・そう思った。
で、与えられた控室に入った。控室の外に控えのスペースがあって、大多数の人はそこで待っていた中で、個室を充てられた我々の手術は今日の手術の中で一番大きな手術なのだろうと、その時思った。

控室で、休憩をして一段落したころに、いきなりドアをノックする音がして、がちゃと開いた。この後、何度かドアが開くのだが、本当にビクッとする。何かあっちゃんにあったのか?移植か?とその瞬間に頭の中でいろいろ考える。

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ドアの向こうから、前の病院の先生が二人入ってこられた。
あれ?とあっけにとられていると、手術の立ち会いに来たので、挨拶に来ました、と。予想外だったので、ちょっとびっくりした。その後、先生方は手術室へ行かれた。

「どういうタイミングでどのように移植に切り替えるのか、勉強させてもらいます」とおっしゃったH先生。切除できると思ってないのかな、やっぱりと思ったままであった。

でも、お忙しい中、あっちゃんの手術を見届けに来てくださってとても心強かった、そして前回執刀医も今回の手術のサブで入っている。

移植コーディネーターの看護師さんが、今日は手術の状況について情報が入り次第、リアルタイムで報告します、と言われた。

前回の手術で、何も情報がない中で、とても疲弊した記憶があるので、とてもありがたかった。

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10時ころ、ドアの外でばたばた走ってくる足音が聞こえた。ドアの前でその音が止まると、軽めのノックの後、ドアが開き、息を切らしながら、コーディネーターさんが、”現状報告します。切除を前提に進めれそうとの一報が手術室から入りました。”とはっきりと教えてくれました。

室内が、一瞬明るい雰囲気に包まれた。
いけるかも、、、、と皆が心の中で思いながら、まだ早い、、、、と期待に胸をふくらましつつその後の報告を待った。

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その後、1時間くらい経過した頃だろうか、手術チームの先生の一人が控室に来て、「まだ、最終的にどうなるかは現状ではわかりませんが、切除で進めています」、と言って、また手術に戻られた。

午後1時前くらいだったろうか、ちょっと重そうな足音が外で響き、ドアの前で止まった。とんとんとノックがあった。

ドアを開けると、手術の先生のうちの一人がそこにいた。

部屋のみんなは、(心の中で)やっぱあかんかったんか、、、、これから移植に切り替える為の連絡なんや、と思ったのだろう、一瞬で部屋の空気が凍った。

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間が長かった。

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先生が開口一番に、”切れました。今、病理に出して、断面の検査をしているところですが、肉眼では癌細胞は確認できていないですし、たぶん大丈夫だと思います。病理の確認ができ次第、お腹を閉じます。”と言われると、去って行った。
なんとここの病理は結果が出次第アナウンスが放送で流され、OKだたらすぐお腹を閉じるというのだ。

病理の結果が出るまで、ままは飲食控えてくださいね、絶食の時間が長くなってきたので点滴どうしますか?と聞かれた。
もちろん食欲なんてないし、まだ嬉しさもわいてこない。

その時は、狐につままれたような感じで、前回の手術の時に切れなかったと言われても(嘘だろう、と)反応できなかったのと同じように、切れましたと言われても(本当?)と半信半疑で反応できなかった。

何しろ、前回は7時間近くかけて切れなかったものが、今回は、4時間弱であっさりと切除されてしまったのだ。ありえない、、、ここまで外科医って差が出るのか?と思うほど違っていた。

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先生は、余裕の表情で、病理でも大丈夫だと思いますと言っていたが、後々の病理結果を読むと、切断面と腫瘍の被膜までの最短距離は0.4mmとあった。常識で考えて、ぶよぶよしたレバーを1ミリ以下の単位で思い通りに切除するって、可能なのだろうか?と後々思った。いまだにわからない。

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長くなったので・・・続く。

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